大和王寺キリスト集会=聖書を伝える聖書的集会(教会|奈良・王寺)王寺駅より徒歩5分=イメージ画像

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連載〈生きる〉

激動の時代を生きる−千恵子抄−

  再臨のこと・聖書の奇蹟・そして救い Part 3

 今回は私がクリスチャンになった時の証しをしたいと思います。
 娘がクリスチャンになって暫くした日のことです。学校から帰ると、突然、イエス様の「再臨」が近いと言い出すのです。(「再臨」とは復活されたイエス様が再びこの世界に来られることです)

    もしかして、これ再臨?
  • 大和王寺キリスト集会=山崎千恵子

 再臨の話は、私も以前に教会に行っていましたので知ってはいました。でもこの時の私は教会にも行かず、神様から遠く離れていましたので、罪の意識もあり、「地獄」について聞くと不安になり怖くなるのです。また「再臨」について聞いても同じように不安になりました。
 そんなある日、娘と一緒に買い物に行きました。娘に話しかけようと、ふと振り向くと娘はいません。キョロキョロと探しましたがどこにもいないのです。「もしかして、これ再臨?」という不安発生です!
 今から思えば笑って思い出せるのですが、その時は本当に怖くてあわててしまいました。少しして、通り過ぎた店から娘が出て来たときにはホッとしましたが、私は娘に気づかれまいと何事もなかったように平静を装っていました。

  わがまま勝手な祈り

 1975年のお正月に娘たちの集会では、兵庫県の青垣で2泊3日の学び交わり会(クリスチャンだけの参加)があり娘も参加しました。 私のために娘は福音メッセージのテープをたくさん置いていってくれましたので、私は一人でテープを聴いたり、テレビを見たり、新聞や本を読んだりしながら3日間を過ごしました。そしてこの3日間を過ごす前に、神様に次のように祈りました。「この3日間を終えて集会に行こうという思いが与えられたら行きます。もしそんな思いにならなければ、もう二度と集会には行きません」と。わがまま勝手な祈りですね。でもこんな祈りにも神様は答えて下さいました。私はできれば地獄や罪や再臨など、すべてのことを忘れてしまいたいという思いもありました。ですから、どちらかというと集会には行きたくなかったのです。ところが、「行ってみよう」という思いになってしまった(?)のです。神様に祈った結果ですから仕方ありません。

    聖書の奇蹟はダメでした

 それから1年以上、私は毎週日曜日には福音集会に出席しました。その頃の私は、神様の存在は信じてはいたのですが、聖書の奇蹟はダメです。聖書の奇蹟の箇所が出てくる度に、「なんで、こんなバカらしいことが書いてあるのだろう」という思いでした。神様の愛とか道徳的に良いことだけ書いてあれば聖書はどんなに良い本かとずっと思っていました。

大和王寺キリスト集会=山崎千恵子 ところが何故だかわかりませんが、メッセージを聴き、自分で聖書を読むうちに、その奇蹟が「ああっ、本当なんだぁ」と、心から思えるようになっているのです。この私の心の変化は、何か特別な理由があったからではありません。自分でも不思議なほどに信じられるようになっていたのです。

  「救い」がよくわからなかった私

 ただ、私には「救い」がよくわかりませんでした。それも当然なことで、聖書はどちらかというと性善説だと考えていました。何故なら「子供のようにならなければ、神の国に入ることはできない」とキリストは言っておられますから。私は「子供には罪はない。だから子供のように罪のないものだけが天国に入れるのだ。」と勘違いしていたのです。でも人間はみんな生まれた時から罪人だと教えられました。私の内から溢れてくる罪の思いはアダム以来の原罪なのだと知りました。どんなに努力しても、心を入れ替えようと思っても私の内に宿る罪はなくなりません。でも、この罪ゆえにキリストを信じなければならないと思うようになりました。しかし、救われたいと思いながらも、なかなかはっきりと信じられません。カーテンの向こう側にイエス様がいらっしゃるような感覚で、イエス様の手をつかみたいと思うのですがうまくいかないのです。

  曲がった者には、ねじ曲げる方

 この頃、ローマ人への手紙の7章後半を何度も何度も読み返しては、神様を呼び求めていました。でもなかなか信じられないのです。私は信じたいのに信じられないので、神様は意地の悪い方だと思うようになっていました。そんなある時、「きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方」(詩篇)という聖書の箇所を読み、びっくりしてしまいました。私が勝手に偏見をもってイエス様をそのように見ていましたので、私の心に意地の悪い方となって映ってしまったのです。(もちろん主はそんな方ではありませんが……)

    偏見から開放されて

 私は次第に、私自身の勝手な見方から開放されていったように思います。そして私の偏見によって、私と主との仕切りとなっていたカーテンが1枚1枚はがされていくように感じました。そして、ついに主の手をつかむことができました。(今から思えば主が私の手をつかんでくださったのでしょうね。) 私は本当に嬉しく、また肩に載っていた荷物を下ろせたようでとても平安でした。家庭の今後や、親戚との関係、勤め先での証しなどいろいろと心配しましたが、主は私が自分自身で一歩踏み出し、ご自身のもとに来ることを求めておられたのだと思います。

  主の山には備えがある

 そしてバプテスマのことを考えている時、「主の山には備えがある」(創世記22:14)のみことばを教えられ、私の生涯のすべての備えは主がして下さると信じ、主にすべてをお任せして、従って行く決心をし、バプテスマを受けさせていただきました。娘も喜んでくれましたし、集会の兄弟姉妹もとても喜んで下さいました。また先に天国に行った父と母、そして姉もきっと喜んでくれていたでしょう。そして何よりもイエス様が喜んで下さったことでしょう。イエス様、感謝致します。

 少し長くなってしまいましたので、次回に障碍をもつ孫のこと、私のからだが癌にかかってしまったことなどを少し証しをしたいと思います。……(つづく)



連載「義母の召天に思うこと」−日下敏彦− 
No.1 天国に召された義母(はは)


連載「生きる」 激動の時代を生きる −千恵子抄− 
No.1 出生・大東亜戦争・原爆投下と終戦
No.2 少女時代・荒野のような時代
No.3 再臨のこと・聖書の奇蹟・そして救い
No.4 孫娘のこと・私の病気・主にある平安


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